感情「で」コントロールしてませんか?

コラム

世間的に多いのは、感情「を」コントロールする方法で、感情のままに行動してしまうとロクなことがないと教えられたり、感情「を」押さえ込むと我慢の限界がいずれきますよ的な自己啓発は多いです。

一方で、人間関係で意外に多いのが感情「で」相手をコントロール出来ると感じてしまうことです。
単に怒りや悲しみを溜め込まずに発散させることは必要だと思いますが、いつしか自分の感情で相手を支配しようとするケースも多いです。これは自分の感情を武器にしてしまっています。昔から「女性の涙は…」なんて表現もあるので、やはり感情は人の気持ちを動かしますが「コントロール」に使うと、フェアな人間関係は築けません。これはコントロールする側とされる側に分けてしまう危険性があります。

今回は大人と子ども、スポーツや家庭において感情「で」コントロールしているケースについてです。案外本人がそうしていることに気づいていない場合もありますが、何度かそうしているうちに相手が自我を自分に都合よく曲げた経験から、自分の正当性を伝える方法として「感情」を武器にする人もいます。

◆母が言葉では無く不機嫌な態度でその場を去る。いつもより乱暴にものを置き、子どもに気を使わす
◆学校の成績や習い事のレギュラーなどで望んだ結果ではないと本人以上に悲しみ、子どもに反省を促す
◇レッスン生が開始までに準備を完了していないとコーチが無言で帰ってしまい、反省を促す
◇選手が指示通りに動かないと無言で指導をやめ、無表情で座り、自分の指示に従わせる

これはほんの一例なのですが、自己の中の不愉快な感情を一方的に表現することで相手の行動を変えさえようとしています。この場合の殆どが、相手が「悪い」と決めつけて感情を先出してしているので、子どもたちは「察する」ことでこの「気まずい空気」を作り出したのが自分が原因だと「加害者」の気持ちになっている状況です。これはお仕事の場面でも多そうですね。自分が悪いと自己否定感を育ててしまいます。自己否定感が強いと、内面で未来にワクワクを感じないので何をしても長続きしない状態になってしまいます。

上記は比較的に静かな表現になるのですが、激昂して感情を爆発させるケースもあります。その殆どは自分より力関係が弱い相手に向けられ、対話を避けて感情を態度や行動に出す行動をとっています。この根底には自己犠牲感もあり、相手は加害者・自分は被害者の構図が自らの内側に出来ていることも多いです。

人は感情の生き物なので一日に何度も感情が動きます。それは自然なことなのですが、相手を自分の思う通りにコントロールする手段として感情を用いることは、良好なコミュニケーションの方法とは言えません。

これは深い思いやりが出来る日本人の「察しろ」的な感覚なのかもしれませんが、親やコーチなどの「感情」を気にしながら成長した子は、大人になっても常に誰かの感情を気にしながら生活を送るようになります。誰かの感情に振り回される「自分」しか想像できない大人になってしまします。

相手を思いやって共感するすることは本当に尊いことだと思います。共感出来るのは「自己」がキチンと成長しているからです。「共感はするもの」であって誰かに「共感させられる」ものではありません。

では感情で相手をコントロールさせる大人はどうしてそうしているのでしょうか?

そうする大人も「共感させられて」成長してきたことと、自分の意見を言うことで「否定」を何度も経験してきたからです。子どもは大人にされたように育ちます。反面教師と出来るのは30歳を過ぎた頃からです。自分の考えや気持ちを伝えたときに共感されずに度々否定された経験は心に深い傷を残し、自己肯定感が育ちません。無言や爆発で感情を伝える大人は、自己肯定感が育っていないのです。大人になってから、自らの自己肯定感が低いことを認めて、改善していくのは覚悟も時間もかかってしまいます。

大人は自分自身で自己肯定感を育てる機会を持てますが、子どもは自己肯定感を育てる環境を選べません。子どもと接する大人たちが、日常から健全なコミュニケーションをとり、人としての尊厳を守る意味を生活の中で示していくことが大切だと考えています。

共感や理解をして子どもの気持ちを分かろうとする態度が心を豊かに育てることは間違いなさそうです。理解と同意は違うこと、価値観の相違を受け入れるなど親が変われば子どもの真の自己肯定感は大きく育ちます。

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