愛情がこじれるとき(親子編)

コラム

私が出会ってきた方々は表面の意識(顕在意識)において我が子を思う尊い気持ちをお持ちでした。しかしながら実は内側の深いところでは未成熟な自らの心を満たすために我が子を利用しているケースがあることについて説明します。

*親が寄り添わない(寄り添わなかった)から、子どもの人生が変わってしまう(しまった)と感じているケースがあります。私も三人の子を育てた経験があるのでとてもこの母の気持ちには共感できますが、これは我が子の現状に対してダメ出しをしてるか、不幸だとジャッジをしている状態になります。

子どもが自分の力で様々なことを乗り越えて今を自分の力で生きていることを、親が否定してしまっているのです。子の年齢の経験から判断できる「最高最善」を選択して、そこにたどり着いたことを否定することに繋がります。勿論親からすれば軽率な判断とのこともありますが、親と子では経験値が違うことを考慮してません。

中には子どもに直接否定する言葉がけをする親もいますが、頻繁に母の至らなさを謝ることもこれは子どもにとっては辛いことです。一見誠実なようでも母に助けられなくても一人でなんとか頑張ってきたのに、それが親を謝らせるような現状になっているのかと無意識でダメ出しを喰らったように感じるケースもあります。頑張ったのに虚しさが残ると達成感は育ちません。しかしながら母も人間なので子育てを間違えることもあります。もしも子育ての間違いに気付いたなら、謝ることも必要ですがその際には子どもの現状を受け入れて認めてからになります。ここまで育った子を敬愛して、それから自らの未熟さを詫びることが順番です。

仕事が忙しかった、お病気で寄り添えなかったなどなど子どもの大切なときに十分に寄り添えなかったことは仕方がないことだと割り切り、それでも頑張って頑張って今を幸せに生きている子どもを無条件で受け入れるのが大事です。母が寄り添わなくても、人生を諦めずに進んでいる逞しさを無条件で信頼しましょう。母が自らの後悔を子どもに押し付けないことが大切です。もしもここで我が子が望んだ道から外れていたとすれば、それは母がいても同様です。母が自分の後悔を昇華するために自己の過失にしていますが、誰の過失でも失敗でもありません。子どもが自分の人生を歩んだので、誰かに支えられなけば歩めない道はいずれ途中で途切れます。それを後悔するよりは、道を変える覚悟をした我が子を誇りに思うことが大事だと思います。

*ジュニアアスリートの親や受験時に多いのは、沢山の指示を出してしまうことです。子供からアドバイスを求められる場合は別ですが、子が試合に負けないようにまたは難関校への合格に向けて先に指示を与えてしまうことがあります。これは我が子を信頼していない典型で、自分で判断できる子どもを育てたいと願いながら判断の機会を奪う行為になってしまいます。我が子の能力を信じていないことを表現を変えて伝えています。心配=愛情ではなく、不信です。自由な判断機会を奪われて、社会の概念に括られる閉塞感を感じた子どもは親に対する信頼を止めるか依存を続けることになります。不信関係や依存体質を育みながら人生の大切な決断をいきなりさせられても、大きなチャレンジに尻込みする気持ちは想像に難くないです。

*一方では夫婦関係や親自身の人間関係(自らの親子関係を含む)を良好に保つために子どもに不本意な役割を持たせるケースもあります。
具体的には「パパが怒るから、すぐに部屋を片付けて」「パパが怒るのはあなた達がわがままだから」または冷えた夫婦関係を子どもを理由に繋ぎ止めるケース「あなた達に良い生活をさせる必要があるから離婚は出来ない」「子どもの面倒をみるから離婚はしない」など….これは多種多様で例を挙げればキリがありませんが、怒られないように向き合いから逃げていること、離婚に対する心理的合理化を子に押し付けていることに気づかないケースです。
自分に正直に生きる「精神的自立」を放棄している姿を子どもに刷り込みしていることになります。

上記はバラバラなケースに伝わるのですが、どのケースにも親の心が未成熟なのが伝わります。これらのケースでは無意識でも有意識でも親の依存や欲求を子を通して満たそうとしています。当の本人は子のためだと本気で信じているので指摘されても反発する方もいらっしゃいますが、自身の心の未成熟さと子どもを信頼出来ないことが親子関係を複雑に絡ませます。

親子関係の基本はセキュアベースがキチンと築かれていることです。セキュアベースは安心・安全がベースになり否定や不信、不安がない関係がそこにはあります。親の内面の不安定さはダイレクトの子に伝わること、親の信頼が薄いことがこの心の成熟機会を奪うことを親はキチンと理解したいです。

そしてセキュアベースのもう一つ機能は、安心して「冒険・チャレンジ」が出来る「探索基地機能」です。冒険に出て、望む結果にならなくても我が子が世界一だと心から迎え入れる場所であることが必要です。母が一緒に行動しなくても、ちゃんと成長出来ると安心して待つことがセキュアベースたる親の務めです。

子どもは親に自分の冒険を聴いて欲しいし、そのときの気持ちを理解して欲しいのです。お世話を焼くことは愛情表現の一つでしかありません。話しを聴いて、どんな状況でも理解し信頼する。信頼するから、腹底から対話も出来る親子関係が出来上がります。親に信頼された子どもは、信頼が人間関係のベースであることを学びます。信頼を楽しんで強くする人間力の構築も家庭から始まります。

私の子だから何があっても大丈夫!

そう思える母でいることが、想像を超えて子を成長させると感じています。

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