カオナシが伝えたいこと

コラム

スタジオジブリの作品「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」はご存知ですか?

湯屋のある世界とは別な場所からやってきた謎の男。己という物を持たない悲しい存在。

「千と千尋の神隠し」劇場用パンフレット
  • 黒い影のような姿
  • 表情がない顔
  • 飲み込んだ物の言葉を話す
  • 相手の欲しいもの(欲)を具現化して出すがそれは偽物
  • 貪欲で、欲が成長して暴れ出す

    これらが主な特徴になります。

スタジオジブリの宮崎駿監督はカオナシの正体については、「現代を生きる若者」と話していましたが、若者に限らいと私は感じています。

己がない」とは「自分がどうしたいかを分からない」状態で、自主的に自己判断で選択・行動することを放棄しています。本当にやりたいことが分からないのか、やりたいことがあるのに行動しないことはまた別の話ですね。

自分を知らないことで「他者から生き方を指示される」「自分がどうしたいのかを引き出す方法を知らない」「自分には可能性も能力もあることを知らない」「自由であることを知らない」「心はものでコントロール出来ると思っている」「相手を喜ばせるまたは関係性を深めるのはものだと思っている」「自分の内側を埋めるものは誰かから貰えると思っている」「欲をコントロールする術を知らない」これらがカオナシを通して伝わります。

程度の度合いこそあれ、殆どの人が自己の内側に響く何かがあったのではないでしょうか。自己の喪失に伴う劣等感、執着、嫉妬そして同調的引きこもり(精神的引きこもり)が垣間見れます。

自分がないから他の人のものが欲しいし、自分には「与えられるべき」と根底では思っています。クレクレ星人や他者に成り代わりたいウォークインタイプはまさしくこれです。恋愛拗らせ女子にも多いですね。そして根気強さがなく欲しいものがすぐに手に入ると錯覚して、偽物でも手に入れることで瞬間的には満足していますが、実際に欲しいものではないことに気づくとまた探し始めます。執着するのに飽きっぽい、流行を追い過ぎたり疑似恋愛を繰り返すタイプもこれに近いです。

心が満たされて自己責任で「今」を生きている人にはこのカオナシの心情理解が難しいのですが、実は意外に多いカオナシタイプは何故このようになってしまったのでしょうか。

あくまでも想像にしか過ぎませんが、多くのケースには幼少期に親から否定をされ続けたことで「本当は」どうしたいのかが分からない、もしくはどうしたかったのかが分からないままで大人になったことが考えられています。

暴力やネグレクトなどの虐待も過保護、生活ケアは出来ているが実際は親の都合優先で子どものリアルに共感不足な対応で、環境も原因も多様ではあります。共通していることは、子供のときに「気持ちを理解されなかった」経験が心の中の寂しさを育てています。この心の寂しさは、自分では何も出来ない無力感や消えたい願望を生み出し、誰かのものを欲しがるか真似をする生き方または何も望まない無機質な生き方を無意識に選択しています。

カオナシは学術的分類ではシゾイドに近いとされていますが、「己」が無いのに「飲み込まれ不安や自分を失う不安」で内面では葛藤しながらも、外側では希望を失った表情を持ち自主的な行動を制限していますね。誰かに「こうだよね…」と自分を括られるのが苦痛です。普通ならば「相手はそう思う」と受け流すことが出来ずに怖いのです。

自分の人生を創造する「軸」は心を理解しながら強くなるのだとカオナシも教えてくれています。

ではカオナシのような大人になった場合はどうリカバリーをすればよいでしょうか。「千と千尋の神隠し」では新しいカオナシに生まれ変わるヒントが描かれています。

それは「自分が出来ること」を「誰か(大切な人がベスト)」が必要としてくれることです。役に立つこと・貢献になりますが、カオナシがお手伝いをしたことを喜んで貰えたことで居場所が出来ました。

自分が出来ること、自分にも出来ることを実行して役に立つ経験がカオナシに「」を戻しました。喜ばれる、人助けをした経験がその場に残る「意志」を表現してもいい自らを教えてくれています。

相手の顔色を窺って自己犠牲という無理をしてまで心の傷を増やすのではなく、自分の意志でここに居たいと選ぶ自由を行使する環境に身を置くことを実行できています。これを自己愛のステップと言います。初めは小さな意志で良いので、自分自身が本当に望むことを自分の行動で達成することを繰り返すことで脱カオナシになっていきます。欲しいのならいつもより少し高いアイスを買う。高いアイスを買うため自分で稼ぐ…この程度の小さなステップを繰り返すことで、徐々に本当の自己愛から丁寧な自己表現を自己責任ですることが可能になります。自己責任で自分で…心の寂しさを埋める大人になっていきます。恋愛で激しく傷つき、トラウマを長年抱える方も「己」がない自己犠牲の恋愛を続けることが多々あります。この場合も新しい恋愛に向けて小さな自己愛ステップから練習ですね。

映画では「顔」や「名前」がアイデンティティでした。「」を知らずにいることが得体の知れないモヤモヤを生み出して、自己の可能性を潰してします。そうなると自立と依存の違いが分からなくなってしまします。

依存と執着はコントロールするのが難しいです。でも難しくしている原因と向き合うことで、執着も依存も必要がなくなります。自己理解は気づきたくない部分に光を当てる作業ですが、この光が「己」を確かなものにします。

カオナシにはテーマソングがありました…寂しいこと、自分では無理だと感じていること、自己の何かが欠けていること、誰かに貰えば良いと思っていること….自己分析が出来ていました。あとはこの先の自己理解、自己受容が出来たらあんなに苦しまなくて済んだと思います。

「千と千尋の神隠し」では千についで2番目の登場時間だそうです。「己・アイデンティ」について深く考えさせられる映画でした。少し前の映画ですが自己理解の助けになれば幸いです。やはり自己理解は幸せになる最強ツールだと私は思います。

さみしい さみしい 僕ひとりぼっち
ねェ 振り向いて こっち向いて
たべたい たべたい 君 たべちゃいたいの
君、かわいいね
きっと寂しくなんかならないんだね

昨日も見た夢は おとといにも見た夢
明日もあさってにも 見る夢は
やっぱり 届かない夢

欲しい 欲しい 僕もっと欲しい
これもいいんじゃん これ欲しい
あげる あげる これみーんなあげる
君も欲しいだろう あげるから
君、僕はくれないかな

昨日も見た夢は おとといにも見た夢
明日もあさっても 見る夢は
やっぱり 届かない夢

昨日も見た夢は おとといにも見た夢
すぐ逃げちゃう寂しい夢よりも
君、おなかに入れたいの

やっぱり届かない夢

君、おなかに入れたいの

久石譲、かまやつヒロシ「カオナシの歌」


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